エビフライのしっぽ

先月、お仕事で沖縄に行ってきました。ちょうど、沖縄初日が「梅雨入り」・・・

出迎えていただいたお客様からは、「日頃の行いが悪いのは。。。?」なんて話しながらのスタートなりました。

実際には、傘が必要なほどの雨は少しの間だけでしたので、それほど不便なく過ごすことができました。

今日のテーマは、「エビフライのしっぽ」です。

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皆さんはエビフライのしっぽって食べますか?

僕はしっぽまで食べてしまうことはほとんどなく、大抵の場合残しますし、ほとんどの方がそうだと思います。

では、ほとんどの方が残す「しっぽ」は、なぜついたまま出されるのでしょうか?

このことについて、コピーライターであり著者の仲畑貴志さんは著書「みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。」の中で、以下のようにおっしゃっています。

「想像していただきたい。尻尾を取られたエビフライ。それがコロンと皿に乗って運ばれてくる。少し照明が低かったり、遠目で見ると、ときとしてウンコに見えないか。

・・・中略

たしかに、海老全身のうちで食べる部分、いわゆる機能する部分は身のところである。だから、機能しない尻尾の部分は捨てた。しかし、エビフライのヴィジュアルアイデンティティ、エビフライを視覚的にエビフライならしめているのは、海老の尻尾だったのである。

・・・中略

コピーもまた、意味として伝わる部分だけでは伝わりにくい。コピーの中の「エビフライの尻尾」が、多くを伝えるのである。」

つまり、エビフライのしっぽはエビがエビであるための主張であるとも言えるのではないでしょうか。

エビは、もししっぽがなければ他のものと間違えられてしまう。エビからしてみたら

「そんなことはゴメンだ」ということなのでしょう。

人生や経営においても、一見余計なことのように思えてしまうことがありますが、その人らしさを表しているということがあると思います。

例えば、補助金の申請書でも、事業の概要やその事業を行うメリットなど、募集要件になっていることだけを書くのではなく、自分がこの事業にかける想いや、この事業をすることになったきっかけなどを記載することは、「その人らしさ」を表す上でとても役にたつと思います(もちろん読み手に伝わる内容や量であることは当然ですが)。

別の例で、朝礼などで話をする場合でも、「先週あった人に、こんな話を聞きました」と聞いたことだけを話すのと、「それを自分の経験に当てはめると、こんなことを感じました」と自分の意見を追加するのでは、話を聞く人の印象や記憶への残り方は大きく異なると思います。

同じような例で、フェイスブックには「シェア」という機能があります。

もちろん、いい記事をそのままフォロワー(自分のフェイスブック上の友達)に伝えたいということもあるのだと思いますが、そのままシェアしただけでは、なぜその人がこの内容を、他の人にも広めたいと思ったのか、そのひとがその記事を読んで何を思ったのかということがわからないと思います。

人生や経営では、人とのつながりが非常に大切だと思います。ということは、自分が何者なのか、どういうことを考えているのかということを伝えるということが大切ということだと思います。

エビフライで言えば「しっぽ」があることで、「俺はエビや!ほかのフライとは違うで~」ということを主張しています。

同じように、自分達が発信をするときに、しっぽにあたる「自分らしさ」を付加するということも心がけてみると、いいきっかけになるのではと思っています。

僕が推進する「経営計画書」も、「しっぽ」が大切だと考えています。


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