謙虚さとプライド

経営において(私生活でもそうですが)、方向転換・方針転換をしなければいけないことがあります。

今までのやり方に限界を感じ、昨日まで言っていたことと別のことを言わなければならない。

昨日までとは、一見、矛盾する行動をしなければならない。

そんな時、

「コロコロ発言することが変わって、はっきりしない奴だ」

「お前には信念というものはないのか!!」

などと、言われることが怖かったりしませんか?

僕は、とても怖いです(笑)

それは、いわゆる「プライド」=誇りというものへの憧れが原因だったりします。

また、「あの人はプライドが高いから・・・」と言われる場合などは、どちらかというと

「プライド」という言葉は、エゴや傲慢さであったり、今までのやり方に執着しているイメージで、ネガティブに使われることもあります。

つまり、この「プライドを持つ」ということと「柔軟に対応する謙虚さ」という、一見、相反するものが、判断の邪魔をして、時に、経営の(人生の)意思決定を大きく遅らせる要因になることも多いのではないでしょうか。

「今までのやり方では、なんとなく限界を感じているんだが、こっちがダメだからといって簡単にそっちというように言い出すわけにはいかない」

というような、漠然とした不安によって決断ができないということもあるのではないでしょうか。

しかし、「プライド」と「謙虚さ」は本当に相反するものなのでしょうか?

今までのやり方に限界を感じた時、謙虚に学び、勇気を持って、その方法を変えることを決断すること

それこそ、成果を出すことに誇りを持って挑む、まさに「プライド」がある行為なのだと思います。

”過去のやり方に固執することがプライドではなく、本来の目的である成果を出すことに対してプライドを持つ”

そう考えれば、柔軟に学び、方向転換する際の決断を後押しすることができるのではないかと思います。

もちろん、中途半端に方向転換をしていては、自分も周りも混乱してしまいます。しかし、悪い意味でプライドが邪魔をして、過去のやり方から脱することができないのであれば、本当の意味でのプライドのある生き方はできないのかなと感じます。

勇気を持って、過去の常識や、過去の自分を超えていくこと、そのためには、謙虚に学ぶ気持ちが大切であり、それが、誇り高い生き方につながるのではないか。

つまり、「プライド」と「謙虚さ」というものは、相反するものではなく、同じベクトル上にあるものだと思います。

あなたは、プライドが邪魔をして成果を出せない人ですか?

それとも、プライドを持って謙虚に学び、成果を出すことに誇りを持てる人ですか?

030115

 


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